「孤独のメンタルノート」を始めるまでのおはなし

過去のできごとから

こんにちは、「孤独のメンタルノート」管理人のウーラーです

今回は、わたしがこのブログを始めるに至るまでのおおまかな流れについてちょっと書かせていただきます。

「孤独のメンタルノート」というブログ名は、わたしが徹底的に人とのかかわりをさけて生きてきたことに由来します。

メンタルに問題をかかえた人間として、自分なりの工夫や学びなどを記録していくべく、このブログを立ちあげました。

この記事では、

  • どういう人物がこのブログを書いているか
  • これまでの経緯から学んだ教訓

などを織りこみつつ、ブログにたどりつくまでの流れをお伝えできればいいなと考えています。

これは記事というよりただの「読みもの」なんで、気まぐれにサラリと読んでもらえたらうれしいです

人とのかかわりをさけるようになったきっかけ

わたしは子どものころから人見知りでした。

それでもまだ幼いうちは、いつのまにか仲のいい友達もできてそれなりに楽しくすごせていたのですが…。

これが、成長するにつれてだんだん雲行きがあやしくなっていきます。

心がゆがんでいくことになった大きなきっかけは、思春期にさしかかる微妙な時期に転校したことです。

転校先でわたしは、当然のように人見知りがさく裂。

そして、あろうことか「学校でひとこともしゃべらない、あやしい子ども」になってしまいました。

その結果、同級生たちからおもしろがられてしまい、笑われるようになってしまったんです。

転校前の学校では友達も多く充実した日々をすごしていたので、このギャップはめちゃくちゃ屈辱でした

笑われれば笑われるほどプライドがずたずたに引き裂かれ、どんどん人間不信になり、絶望していきました。

自分のことを「みじめであわれな痛々しい生物」と認識し、もはや「自分は人間ではない」とさえ思うように…。

人間不信はどんどんエスカレートしていき、「人はみな自分を笑いものにする恐ろしい敵」だと思いこむようになりました。

自分と向きあった結果気づいたこと

その後優しい人たちがお友達になってくれた時期もあったものの、基本的には「人をさけて生きるのがあたりまえ」になりました。

わたしは大人になるにつれ、他人とかかわらないぶん自分自身とはよく向きあうようになりました。

その結果、自分のかかえている心の問題は、単なる人見知りだけではすまされないということに気がつき始めます。

さまざまな書籍やインターネット上の情報に触れ、自分の問題にもっともあてはまるものはどれかを探してみたところ、

  • 回避性パーソナリティ障害
  • 社交不安症
  • 発達障害

などの病気や障害などで見られる症状に近いものを持っていることがわかりました。

もちろん病院で診断を受けたわけではないので、あくまで「生きるうえでの参考」程度に意識するようになったにすぎません。

ただ、内心ではずっと自分を責め続けて生きてきたので、原因がわかっただけでもかなり心がラクになったのを覚えています。

とはいえ、問題への具体的な対策などを学んだり実践したりするまでには至らず、なんとなくやりすごす日々を送っていました。

「完璧」をめざして働いていたときのこと

大人になってからは故郷から遠く離れた地に移り住み、ずっと非正規の仕事をして暮らしをつないできました。

人とコミュニケーションをとることはできなくても、仕事そのものはうまくできることが多かったです。

子どものころの屈辱的な体験から「バカにされるものか!笑われるものか!」という気持ちがとにかく強烈に残っていたため、

「仕事だけは完璧にこなして絶対に誰にも文句を言わせないようにしよう!」

という一心でつねにパーフェクトをめざし全力投球していたからです。

パーフェクトを求めて努力し続けた結果、周囲からの信用を獲得することに成功しました。

もちろん、誰からも笑いものにされずに済みました

「自分は人間じゃない」とまで思っていたわたしにとってこの経験は大きな自信につながるできごとに。

単なる非正規の仕事に全エネルギーを投じていったいなんの意味があるのか…と今は思います。

でも当時は大まじめに「他人から笑われないようにする」というのが人生の最大の目的になってしまってたんですね。

このことが、のちに心が壊れる原因となってしまいました。

メンタル崩壊までの経緯

ある職場でのこと。

そのときもあいかわらず「仕事」そのものに関しては、全力投球することで自信を持って働くことができていました。

しかし働き続けるうちに、その職場はわたしにとってストレス源だらけの環境だということに気づくようになりました。

  • 夜勤(うまく睡眠がとれない)
  • 家から遠い(通勤だけで疲れる)
  • 建物めちゃせまいのに人も物も多い(身動きとれない)
  • 留学生見わけつかない(君は誰?!)
  • ありえないほどつねに不機嫌な社員(不快でしかない)
  • 作業場が寒い(おしっこ近くなる)
  • 落ちついて休憩できない(1人になれない)

などなど…全部書いたらきりがないくらい、ほかにも不快な要素が目白押しで。

自分をごまかしながら続けていましたが、ストレスはどんどんつのる一方で、あきらかにメンタルが不安定になっていきました。

限界を感じ始め、「残念だけど、頃合いを見てそろそろこの職場は辞めるべきかもな…」と考えていた矢先に事件が起こります。

ある日の終業まぎわ、仕事でミスをした(というか、しそうになった)わたしに、大嫌いな社員の男がみんなの前で大声を出したんです。

「ちょっとちょっと!何してんの(怒)!」的な感じで。

みんなの前で大声を出された時点で、もうね、アウトでした

ただでさえストレスが蓄積し不安定になっているところへ、よりによって軽蔑しているクソ男にみんなの前で大声を出された…。

ここでわたしのメンタルはみごとにクラッシュしました。

この職場で2年以上にわたって努力して築きあげたものが一瞬にして水の泡になったと感じ、絶望のどん底に突き落とされました。

明日からわたしはまた「痛々しい存在」として嘲笑されることになるだろう。それだけはいやだと思ってがんばってきたのに。

終業までの数分間必死に涙をこらえ、終わったあとは人気の少ないトイレにかけこみ、タイムカードの存在も無視して1時間以上泣き続けました。

約10ヶ月間ひたすら休んだときのこと

クソ男大声事件が発生した瞬間に、その仕事を辞めることを即決しました。

退職までの1ヶ月あまりは地獄のような日々で、メンタルはもうギリギリの状態でした。

このころ仏教にすがろうとしたり、パワーストーンみたいなの集めだしたりしてたんで、なんかもうほんとにヤバかったんだなって

そしてようやく退職した後は、「まずとにかく人類から離れ、ただひたすら自由にすごし、徹底的に休養する」ことを決めました。

というか、そうするしかなかったです。無意識に、それが自分の心を守る唯一の方法だと確信していました。

すべての苦痛から完全に解放されたわたしは、次の仕事を始めるまでのおよそ10ヶ月間にわたり、とにかく独りでゆっくりしました。

趣味の勉強をしたり、絵を描いたり、気ままにお散歩に出かけたり…。

人とかかわらない時間は、人生でもっとも快適で、もっとも幸せな時間でした。それがよいかわるいかは別としてそれが事実でした。

ずっとゆがんだ動機のもとで仕事に全エネルギーを費やし疲弊してきたぶん、きちんと休む時間が必要だったんだと思います。

再出発への道のり

このころから「自分で自分の心をケア」することの重要性を認識し、本格的にメンタル関連の勉強をするようになりました。

知識やスキルを積極的に学び「心の土台」を整え始めたことは、わたしの人生においてとても重大な変化だったと思います。

それまではなんでも自己流で片づけようとして、何かあっても不器用な対策しかとれなかったから…

また、次の仕事を探すにあたっては、とにかく自分にかかる負担をできるだけ軽くすることを考えました。

休養明けの仕事は、再び社会に出ていくためのリハビリのようなもの。

  • 家から近い
  • 勤務時間が短い
  • 勤務日数が少ない
  • 従業員が少なさそう

といった条件に絞り、無理せず続けていけそうな仕事をじっくり探しました。

条件にあう仕事は無事見つかったものの、勤務日数が少ないということは、そのまま収入が少ないということです。

この収入だけで生活していくことはできません。

わたしはここで一大決心をすることになります。それは、親に事情をうちあけて生活を支援してもらうことです。

自分を否定されるのがいやで、心の問題にあまり理解のない親に悩みを話したことは今まで1度もありませんでした。

でもほかに頼れるあてがないので、勘当されることも覚悟のうえ、事情の説明と一時的な支援をお願いする手紙を郵送。

ドキドキしながら待っていると、「支援OK、応援しているよ」というあたたかい返事が返ってきました。

ほかに方法がなかったというのもありますが、このとき勇気を出して頼ってみてよかったと思っています。

メンタルケアを意識しながら再び働き始めたときのこと

さて、今度は「自分で自分の心をケアする」ことをしっかり意識しながら少しずつまた働き始めることになりました。

これまでは、

  • 見下されないためだけに必死でがんばる
  • 傷つくようなできごとが起こらないように願う
  • 傷ついたらお酒や食べものでまぎらわす

というような、なんとも不安定な生き方をしていました。

これを「何かが起こって傷ついたときに、どうケアするか」という考え方にシフトチェンジ。

人とかかわる以上、心にダメージをうけるのは当然であるという悟りをひらき、ダメージ後の処理に重きをおくようにしたんです。

「負けてはいけない」「バカにされてはならない」という思いこみを見直し、自分の弱さにきちんと向きあえるようになりました

心のケアを意識するようになったことで、今までに比べかなりラクに働けるようになったのはまちがいありません。

また、負担軽減をねらって設定した勤務条件が、思っていた以上に効果的だということもわかりました。

とくに「仕事先からすぐ家に帰れる」ことが働くうえで大きな安心感につながるというのはとても重要な発見でしたね。

こうして自分なりに工夫をすることで、少しずつまた働けるようになりました。

人と直接会わずにできる仕事探しのさなかブログに出会う

軽めの仕事でリハビリする日々が続きましたが、いつまでもこのままでいるわけにはいきません。

再び自力で生きていくためには新たな収入を確保する必要がありました。

しかし自分でメンタルケアできるようになったとはいえ、わたしはもともと対人が苦手な人種です。

以前のように1日8時間×週5日、外に出て人の中で働く働き方に戻すことは、もはやいくらメンタルケアをしていても無理があるのでは…

また同じことになってしまうかもしれない不安と恐怖はぬぐいされませんでした

そこで「人と直接会わずにできる仕事」ができないか模索することにしました。

そのときに紆余曲折を経て出会ったのがブログです。

ブログは、最初はもちろん収入源の選択肢のひとつとして浮上した存在でした(広告を貼ってお金をいただくという方法があります)。

しかしいろいろと勉強していくうち、収入のことは関係なしに、純粋にブログなるものをやってみたいなと思うようになりました。

自分の経験や学びを共有することで、同じ心の苦しみを持つ誰かの役に立つことがあるかもしれないと考えたからです。

また心をテーマに文章を書くことは、自分自身の日常的なメンタルケアとしても活きてくると思いました。

それに今は難しくても、しぶとく続ければいずれはお金をもらえるようになる可能性もゼロではない。

こうしてあれこれ考えた結果、ついにブログを始めるに至りました。

ここまでが、「孤独のメンタルノート」を始めるまでのおはなしです。

ブログを通して伝えたいこと

ここまで、孤独に生きる人間が絶望したり復活したりしながらなんとか歩んできた道のりをざっくりと書いてきました。

最後に、これまでの経験から学んだわたしなりの「メンタルに関する教訓」をまとめてみます。

  • 知識がつくだけでもラクになる
  • 完璧をめざすと心がぶっこわれる
  • がんばりどころをまちがえてはいけない
  • たった一度の小事件で努力が水の泡になるわけない
  • 人は弱るとスピリチュアルに走ってしまう
  • きちんと休めば復活できる
  • 環境を整えることは心の安定に直結する
  • 勇気を出して頼るべきときもある
  • ダメージ後のケアに焦点をあてるとラクになる
  • 自分の弱さを受け入れるとラクになる

こうした自分なりに学んだことを軸にすえながら、読んだ人の心が少しでも軽くなるような言葉をブログで伝えていきたいです。

わたしは今でもほとんど人とかかわらずに生きています。それがいちばん「ラク」だからです。

でもそれは「ほかの人のことはどうでもいい」と思ってるってことじゃありません。

もしあのときの自分と同じことで苦しんでる人がいたら。

何か伝えられることはないかな。教えてあげられることはないかな。

そんな気持ちで、お手紙みたいにブログを書いていきたいと思っています。

ここまで読んでいただいてどうもありがとうございました。お互い、少しでも心がラクになっていけるといいですね!

この記事を書いた人
ウーラー

メンタル管理を意識することで、自己否定のかたまり⇒自己肯定感のかたまりへ奇跡の進化をとげた生命体。
もともと不器用なアナログ人間だったけど、ブログ運営をきっかけに徐々にデジタル文化も取り入れつつ、柔軟に自己改革中。
電子書籍読み放題サービス「Kindle Unlimited」に出会ってからは毎日読書を楽しみ、読書によるメンタル面の微妙な成長を日々実感している。
気まぐれに「おでかけチャレンジ」を実施中。

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