こんにちは、「孤独のメンタルノート」管理人のウーラーです。
メンタル面に問題をかかえた人間として、死ぬまでのがれられないであろう「セルフメンタルケア」について、自分なりに工夫していることや、学んだことなどを記録していくべく、このブログを立ちあげました。
「孤独のメンタルノート」というタイトルは、わたしが徹底的に人とのかかわりをさけて生きてきたことに由来します。
今回は、わたしがこのブログを始めるにいたるまでの、おおまかな流れについて、すこし紹介させていただこうと思います。
子どものころから今にいたるまでの、かなりざっくりとした流れではありますが・・・
- その1もともと子どものころからメンタルに問題あり
- その2非正規の仕事で生計を立てる歳月をすごす
- その3働き続けるうち、すこしずつ自信がついてくる
- その4しかし、あるできごとがきっかけでメンタル崩壊
- その5およそ10ヶ月間にわたる休養
- その6メンタルケアに力を入れつつ、新しいバイトを始める
- その7バイトをしつつ、対人不要な仕事をもとめて情報収集
- その8ついにパソコンを買う決意を固める
- その9Webライティングを始める
- その10ブログを始める
ざっくり見てみると、ちょっとまぬけな感じもしてしまいますが、わたしにとってはけっこうキツイ道のりでした。
ということで、ここから一連の流れをかいつまんで書いてみます。
もしお時間があったら、ひまつぶしにでも読んでみてください。
子どものころから続くメンタル問題について
はじめに、「わたしがどのようなメンタル的問題をかかえて生きてきたか」ということについて、さくっと触れておきたいと思います。
わたしは子どものころから人見知りでした。
それでもまだ幼いうちは、いつのまにか仲のいい友達もできて、それなりに楽しくすごすことができていました。
これが、成長するにつれてだんだん雲行きがあやしくなっていきます。
メンタルが病んでいくことになった大きなきっかけは、6年生になる直前に転校したことです。
転校先でわたしは、当然のように人見知りがさく裂。
そして、あろうことか、「学校でひとこともしゃべらない、あやしい子ども」になってしまいました。
その結果、まわりの同級生たちからおもしろがられてしまい、笑われるようになってしまったんです。
転校前の学校では友達もたくさんいて、ふつうに楽しくすごしていたので、このギャップはめちゃくちゃ屈辱であり、プライドがずたずたに引き裂かれてしまいました。
そして笑われれば笑われるほど、どんどん人間不信になり、絶望していきました。
自分を「みじめであわれな、痛々しい生物」と認識し、もはや「自分は人間ではない」とさえ思うように・・・。
それからというもの、人間不信はどんどんエスカレートし続け、「人はすべて、自分を笑いものにする恐ろしい敵」だと思い込むようになり、わたしは完全に人をさけて生きるようになってしまいました。
発達障害?社交不安障害?HSP?
わたしは大人になるにつれ、他人とかかわらないぶん、自分自身とはよく向きあうようになり、自分のかかえているメンタル問題は、単なる人見知りだけではすまされないということに気がつき始めました。
はっきり自覚したのは、20代の半ばではなかったかと思います。
現在は多くの人がメンタル関連の情報を発信してくれているので、さまざまな書籍やインターネット上の情報に触れ、自分の問題にもっともあてはまるものはどれかを探しました。
わたしが探したなかで、たいへんよくあてはまっているのは、「発達障害(ASD・ADHD混在)」「回避性パーソナリティ障害」「社交不安障害」「HSP」などの障害や病気、あるいは性質といったものです。
もちろん、これらはあくまで「情報にあてはまる」というだけの「自己判断」であり、病院できちんと診断をうけたものではありません。
それは自分自身でもよく自覚し、参考程度にとどめて、変に暴走しないように心がけています。
非正規の仕事で生計を立てる日々
メンタルに問題をかかえたまま大人になったわたしでしたが、この世のおきてにしたがい、むりやりにでも働かなければならなくなりました。
高校卒業後は専門学校に通わせてもらっており、そのときに一応なんちゃって就職活動くらいはしたのですが、さまざまな問題から、結局うまくいかぬまま卒業。
そのころは、それまでの人生でもっともメンタルを病んでいた時期で、しばらく実家に引きこもることになりました。
しかし親からのプレッシャーもあり、わたし自身も「ニートはさすがにだめだ」と思っていたので、悩み苦しみながらも、ひとまずアルバイトを始めることに。
そして何だかんだでアルバイトを続けた後、貯めたお金で実家を出て、遠く離れた土地でひとり暮らしを始めました。
じつは、このころのわたしは、「人生でやりたいこと」がすでに見つかっていました。
しかしそれは、今すぐ仕事としてやるにはあまり現実的でないものだったので、「フリーターとして最低限の生活費をかせぎながら、すこしずつやりたいことをやろう」と決めていました。
長期間通った職場で、奇跡的に自信をつける
ひとり暮らししながら働き始めてしばらくたったころ、わたしはようやく自分のメンタル問題の本質に気づくようになりました。
「やっぱり自分はふつうの人間じゃなかったんだ」「わたしは障害者なんだ」などと絶望したものです。
しかし、ある職場に長年勤めたことが、大きな自信をつけるきっかけになりました。
その職場には、派遣のアルバイトと契約社員としてトータルで約9年も通ったのですが(われながらすごいな)、「誰にもバカにされるものか!」とクソまじめに仕事に取りくみ続けるうち、しだいに周囲の信頼を得られるようになっていきました。
仕事の内容がたまたま自分にあっていたことや、わたしよりも仕事ができない人がいっぱいいたこと(おかげで苦労もしましたが)などが奇跡的に重なったこともあり、自分が「攻撃される」とか「笑われる」といった心配をしなくてもすむようになったんです。
その状態で9年もたつころには、わたしのメンタルにかかる負担はだいぶ少なくなっていました。
ここでの経験は、「自分は人間じゃない」とまで思っていたわたしが、「人のなかで仕事をしながら生きていく」ことへの自信につながりました。
新たなアルバイト先でメンタル崩壊
働くことに自信がついたはいいのですが、職場(というか会社)自体はキライだったので、前述の「やりたいこと」にひとくぎりついたタイミングで退職をしました。
そして新しいアルバイトを始めたのですが、入ってしばらくは、比較的順調でした。
前職での経験から、働くことに自信もついていましたし、今までと同じように
「バカにされたくない」
「笑われたくない」
という一心でまじめに仕事をこなすことで、すこしでも早く自分の立場が安定するよう、がんばっていました。
しかし働き続けるうち、あることに気づきました。
その新しい職場はわたしにとって、ストレスになる要因があまりに多すぎる環境だったということです。
例えば、
- 建物がせまいのに人も物も多すぎる(身動きとれない)
- 留学生見わけつかない(君は誰?!)
- ありえないほどつねに不機嫌な社員(不快でしかない)
- 作業場が寒い(おしっこ近くなる)
- 夜勤の仕事である(休日の睡眠がうまくコントロールできない)
- 家から遠い(通勤だけで疲れる)
などなど・・・全部書いたらきりがないほど、たくさんありました。
夜勤や家から遠いことはもちろん入る前からわかっていたことですが、「自分はがんばれるはずだ」と、最初は思っていたんです。
でも、やってみたらダメでした。
このころはまだ意識的にメンタルケアを始める前でしたから、ストレスはどんどんつのる一方で、あきらかにメンタルが不安定になっていきました。
そして、限界を感じ始め、「残念だけど、頃あいを見て、そろそろこの仕事は辞めるべきかもな・・・」と考えていた矢先、事件が起こります。
ある日の就業まぎわ、仕事でミスをした(というか、しそうになった)わたしに、大嫌いな社員の男が、みんながいる前で大声を出したんです。
「ちょっとちょっと!何してんの(怒)!」
的な感じで。
みんなの前で大声を出された時点で、もう、アウトでした。
ただでさえストレスが蓄積し、不安定になっているところへ、よりによって軽蔑している大嫌いなクソ男に、みんなの前で大声を出された・・・。
わたしのメンタルは崩壊しました。
この職場で、2年以上にわたって努力して築きあげたものが、一瞬にして水の泡になったと感じました。
仕事に関してはある程度自信をもってやっていただけに、なおさらみじめでした。
明日からわたしは、みんなから「痛々しい存在」として見られることになるだろう。
それだけはいやだと思ってがんばってきたのに。
終業までの数分間、必死に涙をこらえ、終わった後は人気の少ないトイレにかけこみ、タイムカードの存在も無視して1時間以上泣き続けました。
事件により、その仕事を辞めることを即決しましたが、「次の日から急に行かない」とかいう無責任なことはできなかったので、事件後も1ヶ月以上は、屈辱に耐えながら何とか働ききりました。
約10ヶ月間の無職生活
事件から退職までの1ヶ月あまりは、わたしにとって地獄のような日々で、メンタルはもうギリギリの状態でした。
ようやく退職した後は、「まずとにかく人間から離れ、ただひたすら自由にすごし、徹底的に休養する」ことを決めました。
というか、そうするしかなかったです。
それが唯一の、自分のメンタルを守る方法だという確信がありました。
そして、すべての苦痛から完全に解放されたわたしは、次の仕事を始めるまでのおよそ10ヶ月間にわたり、誰ともかかわらず、人生でもっとも自由で、もっとも幸せな時間をすごしました。
人とかかわらないということが、こんなにも安心感を与えてくれるとは・・・。
このとき、自分のかかえている問題の重さに、改めて気づかされました。
再出発への道のり
休養中は、趣味に関する勉強をしたり、絵を描いたり、とにかく自由にすごしました。
それから、メンタルに関する本をいくつか読み、必要な情報を抜き出して「メンタルノート」にまとめました。
そして自分の問題と改めて向きあい、自分なりのルールをまとめた「ルールノート」を作成。
これにより、今まで感じていた漠然とした不安が取りのぞかれ、自分の感情や生活をコントロールしやすくなりました。
さらに、すこしずつ外の世界とつながる練習として、ツイッターもやってみました。
実際にやりとりをすることはあまりありませんでしたが、投稿したもの(描いた絵など)を誰かが見てくれるという感覚だけでも、外部とつながる練習になったと思います。
休養期間中に、人と直接会わずにできる仕事ができないか、模索もしました。
でもこのときは、「現時点で自分にできるものはない」という判断にいたったので、再びアルバイトをしながら生計を立てる方向で考えざるをえませんでした。
本当はあと1年でも2年でも、まだまだ休養したい気分でしたが、それでは貯金が底をついてしまうので、メンタルケアを意識的に実践しながら、アルバイト再開にむけて動き始めました。
負担の軽いアルバイトを探す
休養明けの仕事は、わたしにとってリハビリのようなものであり、とにかく負担をできるだけ軽くする必要がありました。
前職での経験もふまえ、次のような条件でアルバイトを探します。
- 家から近い
- 勤務時間が短め
- 週3勤務
- 従業員が少なさそう
ただし、勤務時間の短さや、家から近いことが、はたして実際に負担を減らすことにつながるかどうかは、働いてみるまでわかりませんでした。
わたしにとっては、「人とかかわること」自体が、苦痛のもとだったからです。
そのため、家から近かろうが、勤務時間が短かろうが、従業員が少なかろうが、人とかかわる以上はストレスにやられて、まただめになってしまう可能性は十分あるという想定はしておこうと思いました。
親への覚悟の手紙
勤務日数・勤務時間が短いということは、そのまま収入が少ないということです。
この収入だけで、生活していくことはできません。
わたしはここで、人生の一大決心をすることになります。
それは、親に事情をうちあけて、生活を一部支援してもらうことです。
子どものころから、母親はわたしが他人とうまくかかわれないことに否定的で、父親は基本無関心でした。
わたしは、これ以上否定されるのがいやだったので、自分のかかえている問題について、親に話したことは1度もありませんでした。
しかし、ほかに頼れるあてがないので、わたしは勘当されるのも覚悟の上で、事情の説明と一時的な支援をお願いする手紙を書いて、郵送しました。
それに対して返ってきた返事は、「支援OK、応援しているよ」というあたたかい内容でした。
本当に安心しましたし、ありがたかったです。
メンタルケアに気をつけながらアルバイト開始
そしてついに、新しいアルバイト生活が始まりました。
今までと大きく変わったことは、とにかくメンタルケアを意識するということ。
これまでのわたしは、
「見下されないようにがんばる」
「傷つくようなことが何も起こらないように願う」
「もし傷ついたらお酒やおいしいものなどでまぎらわす」
といったような生きかたをしていました。
これを、
「何かが起こった後に、どうケアするか」
という考えかたにシフトチェンジしました。
人とかかわる以上は、メンタルにダメージをうけるのが前提だということを覚悟し、ダメージをうけた後の処理に重きをおくようにしたんです。
この考えかたは本当に重要で、わたしのような人間はとくに、もっと早い段階で取り入れるべきでした。
また、自己否定するようなことは一切やめ、自己肯定感を失わないように心がけました。
このような工夫や心がけのおかげで、働いているときの気持ちは今までに比べてだいぶ楽になりました。
さらに、家から歩いてすぐ行ける距離感や、勤務時間の短さ、勤務日数の少なさなど、負担軽減をねらって設定した勤務条件が、思った以上に効果的だということもわかりました。
とくに、「すぐ家に帰れる」という安心感が、こんなにも大事なことだったのかというのは、わたしにとって新しい発見でした。
アルバイト以外で収入を得る方法を改めて模索
新しいアルバイトが何とか続けられそうなので、ひとまずは安心しました。
とはいえ、ずっとこの働きかただけを続けるわけにはいきません。
親からの支援は永遠にうけられるものではないので、いずれまた自力で生きていけるように、何らかの形で収入を確保する必要があります。
しかし、今後また、外に出て人のなかで働くというこれまでの働きかたを、
「1日8時間×週5日」
などにもどすことは、もはやいくらメンタルケアをしていても無理があるだろうと判断しました。
アルバイトに出られるのは、せいぜい週3日までが限界。
足りないぶんの生活費は、別の方法でまかなわなければならない。
そこで、休養中にあきらめた、「人と直接会わずにできる仕事」を、改めて模索しました。
そしていろいろ調べ、悩んだ結果、「やはりパソコンは必須である」という結論にようやく到達。
お金なんてもちろんありませんでしたが、新しい可能性にかけ、思いきってパソコンを購入し、インターネット環境を整えました。
アナログ人間、インターネットの世界に入る
もともと古いものに魅力を感じやすいわたしは、博物館や遺跡などに興味を示す反面、インターネットなどの新しいものには何となく抵抗がありました。
スマートフォンを買ったのも、30代半ばをすぎてからでした(それもガラケーが使いものにならなくなったので、しかたなく買いました)。
だいぶ前にパソコンをもっていたことはあるのですが、くわしい知識はほぼない状態で、せいぜいかんたんな調べものをするか、動画を見るくらいでした。
そんなわたしが、なけなしのお金で新しいパソコンを買い、対人不要の仕事を始めるためには、まずパソコン自体に関する知識、インターネットに関する知識といった基本的なことから学ぶ必要がありました。
大変だとは思いましたが、学ぶうちに、わたしは自分が今まで意味もなく新しいテクノロジーを敬遠していたんだと気づかされました。
せっかくこんな便利なものがあるのなら、大いに活用すればいいじゃないか!
そして、とりあえず自分にできそうなことはいろいろ試してみようと思いました。
わたしはもともと文章を作ることは得意なほうだったので、手始めにWebライティングの仕事をうけてみることにしました。
そのため、ライティングに関する学習も、独学ではありますが進めています。
まだ生活を補えるだけの収入にはほど遠いですが、これは芽が出るまで時間のかかるものだと心得ているので、ねばり強く、今も継続しているところです。
もちろん、失敗に終わる可能性も想定はしておかなければなりません。
悩んだ末、ブログにもチャレンジすることに!
Webライティングのほかには、どんな可能性があるのか。
今すぐ自分に始められそうなことの1つとして、広告で収入を得ることができる「ブログ」の存在が浮上しました。
しかし、収入を得ることを目的にして運営するのなら、どのような内容のテーマを扱うべきかはとても重要なポイントです。
わざとらしく広告の商品を宣伝するのはいやだし、専門的なことを人に教えられる経験もノウハウもない。
しかも、ブログは長く続けないことには、そもそも誰も見てくれない。
「自分に書けるテーマって何だろう?」と、さんざん考えました。
その結果、自分にできそうなのは、「自分のメンタルケアの方法について誰かに紹介すること」くらいしかないという結論にいたりました。
ただ、
「このようなテーマでは、広告による収入は見込めないのではないか。」
「それでは本末転倒であり、わざわざ大変な思いをしてブログをやる意味がないのではないか。」
と、とても悩みました。
しかし、改めてブログを始めるメリットを考えてみた結果、
- まず自分自身の日常的なメンタルケアとして活用できる!
- 文章を書く練習になる
- パソコンを使う練習になる
- ワードプレスを使う練習になる
- 同じ悩みをもつ誰かの役に立つ可能性がある!
- 外部とのつながりが生まれる
など、いくつものメリットがあることに気がつきました。
そして、収入が得られないとしても、別の意味でやってみる価値があるのではないかと思うようになりました。
ここまでが、このブログ「孤独のメンタルノート」を始めることになった経緯です。
おわりに
だいぶかいつまんで書きましたが、ここまでのだいたいの流れをたどってみました。
正直、今の時点ではまだ、完全に自立した生活にもどれるだけの収入の見込みはありません。
でも、あせらずにすこしずつ、進んでいきたいと思います。
しばらくは、経済的に支援してくれている親に感謝しつつ、収入につながるさまざまな可能性を模索しながら、自分にできることをがんばっていく予定です。
このブログも、わずかでも収入につながればありがたいですが、とりあえず収入のことはおいておいて、まずはよい内容のブログになるように、がんばろうと思います。